Romantic Modernity

少しづつ引越し中

「特攻隊は、戦後日本の節目節目で利用されてきたのです…」(最近書いた記事ではなく、2007年6月26日の再録)

私は観ていないが、最近特攻映画を作った男が、特攻隊はダイヤモンドのように輝いていた、今の若者は駄目だと発言したと雑誌で読んで、唾棄すべき男だなと思った。 『不時着 特攻―「死」からの生還者たち』日高恒太朗 文春文庫)を読むと、実際に出撃して、飛行機の故障で生き残った人の正直な心情、戦果がなかったこと、特攻を命じた者として戦争裁判で罪を科せられるのを怖れた将官が特攻は「自発的」としたことなど、色々知らなかったことがあった。私がこの本を手に取ってぱらぱらめくって、これは読んでみようかなという気になった部分を引用する。            

「あのときの上官がいま目の前に現われたら、私はどんなことをしても生き残りたかったんだとハッキリいいます。(略)少なくとも私の仲間たちには国のために死ぬという大義に殉じた者など一人もなく、命令を下した特攻屋たちへの怨みだけが残ったのです」(略)「強者が弱者を矢面に立てる、それが戦争の現実であり、弱肉強食の自然の摂理そのものであることを目のあたりにし、痛いほど体験した」(略)彼のいう「強者」は国家権力、天皇などの抽象的な概念ではない。硬直した学歴階級社会の軍隊のなかで、二十歳前後の若者たちを鼓舞し、後方の防空壕の中から「死ね」と命令した奴ら。自らは最後まで生き延び、そうしてまた戦後民主主義社会のなかで「人間は生まれながらにして平等である」と軽々と変節して政界、実業界で大きな顔をしている学歴貴族たちを具体的に指し示している。

ブルーハーツの曲に、「君ちょっと行ってくれないか、すてごまになってくれないか、いざこざに巻き込まれて死んでくれないか」という歌詞の「すてごま」があるが、今こういう曲を歌うバンドはあるだろうか。

(2014年7月21日の追記)

いや、ない。